私と音楽のこと

宇宙の音楽。

音楽の表面的な表現力や技術にばかり気をとられていた私にとって、この言葉との出会いは衝撃でした。それ以来、私は「古代ギリシアの人々が追い求めた『宇宙の音楽』とはいったいどんな音楽なのだろう」と常に夢想するようになりました。惑星や恒星、あんなに巨大な天体たちがハーモニーを奏でながら宇宙を運行している。なんて浪漫があるのだろう!今もそんなことを考えるとわくわくします。

また同時に、音楽を芸術、技芸としてだけでなく、学問として深めていった古代ギリシアの哲人たち、そしてその思想・学問を連綿と受け継いできた西洋音楽史を敬愛するようになりました。ちっぽけなはしくれではありますが、私も偉大な先人たちのように、音楽を芸術としてだけではなく学問・思想・哲学として深く探求していきたい。その思いから、私はこのウェブサイトを「音楽探求工房」と称しています。

この世界の調和<ハルモニア>を表すような音楽を求めて―私は今日も明日も、音楽をつくります。

私がはじめてオリジナルの曲を作ったのは確か22歳くらいのときでした。学生時代は大学合唱団に所属しており、ピアニストとして伴奏を弾いたり、また演奏会用にポップスを合唱編曲したりと実に楽しく充実した音楽漬けの日々を過ごしていました。その延長線上で、ふと自分で曲を作ってみたくなり、混声合唱組曲として詩及び楽譜を書いたのがはじまりでした。

混声合唱曲はソプラノ、アルト、テノール、バスという4つの声部から成っています。これは四声体といい、西洋音楽の構成要素である「和声」の基本となります。また私は当時フランドル楽派にも傾倒しており、ポリフォニー音楽にも魅了されました。

4つの声部が、異なる旋律を横に奏でつつも、縦軸の和音もまた美しく響く。四声体っておもしろいなあ、ポリフォニーや対位法って奥が深いなあなどと考えながら、約10年をかけて11曲の合唱曲を完成させました。これが私の初めての作曲でした。

現在は長野の山奥で自然と戯れたり、大阪の古き良きニュータウンでメダカの世話をしながら、音楽作りに勤しんでいます。 今はユーザーのみなさまのおかげで、音楽だけでなんとか生活できるようになりました。ささやかな暮らしではありますが、作曲活動と自分の暮らしを楽しみつつ、これからも頑張って参ります。

「BGMとして扱いやすい、ユーザーフレンドリーな楽曲であること」と、「音楽として美しい作品であること」の両立を目指しております。

私は音楽以外のことはからきしダメで、いつも人と自分を比べては、落ち込んだり消えてしまいたい気持ちになっていました。今私がここにいるのは、本当に音楽のおかげです。ピアノが、音楽だけが、私にとって生きる力であり、炎でした。

私は、音楽の神様に本当に感謝しています。私の作る音楽が、いろんな人たちの役に立ったならば、きっと音楽の神様への恩返しになるはずだ。なってるといいな。なあんてことも思いながら。音楽を作っています。深い探究心、学問への好奇心、そしてみんなへの感謝の気持ちを忘れずに。いつも、ほんとうにありがとうございます。自分の音楽道を邁進して参ります。

好きなものについて。敬称略。
音楽。ルネサンス期の音楽。ざっくり言うと、バッハ先生より更に200年ほど昔の音楽です。特にハインリヒ・イザーク先生。私の心の師であります。タリス・スコラーズのCD、『使徒のミサ』がイザーク先生との最初の出会いでした。ジョン・タヴァナー、オルランド・ラッススも好きです。
ルネサンス期以外ですと、特に大好きなのはドビュッシー、プロコフィエフ。それからベートーヴェン、モーツァルト。ブラームスは弾くのが好き。ショパンは聴くのが(最近)好き。
国内ですと、小六禮次郎、久石譲、菅野よう子。

ピアニストはポリーニ。
絵。圧倒的にシスレー。シスレーメインの企画展をやってほしい…無理かあ…(笑)印象派は総じて好きです。ゴッホ、長谷川等伯、榊原紫峰。最近気になっているのは田中一村。
食べ物。ホットケーキ、クリームパン、生ハム、コーヒー&紅茶。カフェインらぶです。

そうそう、そうでした。のる、HarumachiMusic、丸ノ内ノイ、複数の筆名がありますが、すべてわたくしのこと、同一人物でございます。はじめは「丸ノ内ノイ」として活動していたのですが、Twitterでは親しみやすい名前のほうがいいかな…ということでなんとなく付けたTwitter名、「のる」が、現在はメインの筆名となっております。当ウェブサイトには他の名前も出てくるので、お客様が「えっ、だ、誰??」とビックリされぬよう、ここで少しだけ筆名について触れておきました…(笑)

遠くへ行ってやろうと決めたんだ
誰からも見えないような
遠く
遠くへ