私について。
ピアノは小さい頃から弾いています。でも、特段上手というわけではありませんでした。今でも語り草なのが、私が7,8才のころ、音楽教室のグループレッスンにて、先生から「のるちゃんは“おたまじゃくし”を書くのだけは上手ね」と言われました。おたまじゃくし、音符のことです。五線紙に丁寧に、ぐりぐりと、4分音符を書くのだけは上手でした。肝心の演奏はからっきしだめでした。
練習をさぼったり、先生に怒られたりはしょっちゅうでした。高校受験を控えた中学三年生のとき、ピアノを習うのを辞めました。高校生になっても、習い事としてのピアノを再開することはありませんでした。先生から、「やる気のない人はもう来なくていいです」と言われたからです。やる気がなかった私は、二度とその先生のところへは行きませんでした。
でも私は家でひとり、ピアノを弾いていました。定番のクラシックにはあまり目を向けず、ポップスやイージーリスニングな曲の楽譜を探しました。華やかで壮大な難曲・大曲を弾けるわけではなかったけれども、自分の手が紡ぎだすピアノの音色が、私はすごく好きだったのです。私はひとり、ピアノを弾くことを楽しんでいました。自分の音が、すごく好きでした。
転機が訪れたのは、大学生になってからです。ピアノをもっと弾きたい、と思い、なんとなく大学合唱団に入部しました。ここでの経験が、私の“音楽”の原点とも言えるかもしれません。それまでピアノ一本だった私が、歌を歌い、ピアノも弾き、そして「誰かと一緒に音楽をする」ことの楽しさを覚えたのです。
ふだんの練習ももちろん楽しかったのですが、授業の空き時間や授業終わりに部室に集まって、4,5人でアンサンブルをしたり、私が気楽に弾いたピアノに合わせて仲間たちが歌ってくれたりもしました。音楽に溢れ、仲間たちと一緒に音楽を楽しんだ、かけがえのない時間でした。つらいこと、悩んだ時期もあったはずですが、今となっては楽しくあたたかい思い出ばかりが心に浮かびます。
それから。25歳のときに、もう一度しっかりピアノを習いたいと、実に10年ぶりにピアノレッスンを受け始めました。このときの先生が、私のピアノのお師匠さまです。ピアノの技術のことだけでなく、音楽全般のこと、演奏者としての心構え、人付き合いなど…色々なことを教えてくださいました。そのご縁で社会人合唱団のピアニストとして、活動することもできました。
今はまた、ひとりのんびりとピアノを弾いています。でも、どんな時も私の芯にあるのは、生かされている音楽ではなく、生きている音楽を作りたい…そんな想いでした。少しばかりぶきっちょでも、誰かと共に生きている音楽を、これからも目指していきたいです。
練習をさぼったり、先生に怒られたりはしょっちゅうでした。高校受験を控えた中学三年生のとき、ピアノを習うのを辞めました。高校生になっても、習い事としてのピアノを再開することはありませんでした。先生から、「やる気のない人はもう来なくていいです」と言われたからです。やる気がなかった私は、二度とその先生のところへは行きませんでした。
でも私は家でひとり、ピアノを弾いていました。定番のクラシックにはあまり目を向けず、ポップスやイージーリスニングな曲の楽譜を探しました。華やかで壮大な難曲・大曲を弾けるわけではなかったけれども、自分の手が紡ぎだすピアノの音色が、私はすごく好きだったのです。私はひとり、ピアノを弾くことを楽しんでいました。自分の音が、すごく好きでした。
転機が訪れたのは、大学生になってからです。ピアノをもっと弾きたい、と思い、なんとなく大学合唱団に入部しました。ここでの経験が、私の“音楽”の原点とも言えるかもしれません。それまでピアノ一本だった私が、歌を歌い、ピアノも弾き、そして「誰かと一緒に音楽をする」ことの楽しさを覚えたのです。
ふだんの練習ももちろん楽しかったのですが、授業の空き時間や授業終わりに部室に集まって、4,5人でアンサンブルをしたり、私が気楽に弾いたピアノに合わせて仲間たちが歌ってくれたりもしました。音楽に溢れ、仲間たちと一緒に音楽を楽しんだ、かけがえのない時間でした。つらいこと、悩んだ時期もあったはずですが、今となっては楽しくあたたかい思い出ばかりが心に浮かびます。
それから。25歳のときに、もう一度しっかりピアノを習いたいと、実に10年ぶりにピアノレッスンを受け始めました。このときの先生が、私のピアノのお師匠さまです。ピアノの技術のことだけでなく、音楽全般のこと、演奏者としての心構え、人付き合いなど…色々なことを教えてくださいました。そのご縁で社会人合唱団のピアニストとして、活動することもできました。
今はまた、ひとりのんびりとピアノを弾いています。でも、どんな時も私の芯にあるのは、生かされている音楽ではなく、生きている音楽を作りたい…そんな想いでした。少しばかりぶきっちょでも、誰かと共に生きている音楽を、これからも目指していきたいです。